カテゴリー : ひとりごと

書ける小説、書けない小説

ある種の小説を読むと、自分でも小説を書きたくなることがある。
ある種ってどんな?と言われると困るけれど、たぶん自分の中にある何かと通じている、あるいはそんな錯覚を覚えるような文章だった場合。
でも、実際には書けない。技術的な問題ではなくて、主題的に。絵ではないけれど、カタチの見えないものはうまく書けない。文章でも。

短いエロ小説は書いてるって?エロはその時に書きたいテーマがわりと明確にカタチをともなって浮かんできて、あとは肉づけをして、文章として成立させていけばいい。これはこれで書いていて楽しいし、全力で書いている。

テーマが外部にある場合───社会的な特定の事柄や何かの事象──なら、熱意と時間があれば書けそうだ。たぶん。
でも、例えばある時に、空を流れてる雲を眺めたり、道端に生えている雑草を見ていたり、遥か遠くにどこかの山並みが浮かんで見えたりしたときに心を占めてくる感情を文章に、ましてや小説にするのは超高難度だ。結局それは自分のこれまで生きてきたことの積み重ねで生まれた感情なのだから。じゃあと自伝的小説を書いてもそれはおそらく表現できない。逆にカタチがつかめて文章に落とし込むことができるのなら、自伝風にしようがハードボイルド風にしようがセカイ系にしようが、あとは技巧上の問題だろう。

一番書きたいはずなのに、書けないもの。陳腐な表現でいえば「声にならない心の叫び」といったところ?
そんなことを思いながら、今日も何か本を読んでいます。